加藤淸正麾下の左先鋒將で参戦した後、朝鮮に亡命した金忠善の意を称え建設した。以来、1868年(高宗5)興宣大院君の書院撤廃令によって撤去されたが、1885年に再建築し1971年現在の位置に移った。境内には祠堂である鹿洞祠・向陽門・遺蹟碑・神道碑などがあり、毎年3月に祭祀を行う。金忠善(沙也可)将軍を祀っている鹿洞書院に隣接した韓‧日和合の空間では、歴史の勉強や体験学習の場として活用されている。韓‧日歴史と伝統衣装、生活様式など文化体験館をはじめ、映像広報館・忠孝教育観等の展示、体験施設では鹿洞書院を訪れる日本人観光客と修学旅行生のための韓‧日文化交流と和合の場として利用している。他にも、韓‧日伝統庭園、伝統遊びの広場・フォトゾーン・休憩スペースなど充実した施設で成り立っている。